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『男の武術空手』 について

このページでは、『男の武術空手』 をご紹介いたします。

男性向けのスマホ用公式ページはこちら。PCからも閲覧可能です。



『真の強さと本物の技術を求めて』

当道場では、伝統派空手における松涛館流の空手を基本としていますが、男性向けの稽古では、松涛館流空手の枠を越え、様々な日本伝統武術や海外武術の技や動きを取り入れた「実戦想定型武術空手」の稽古をしています。

「強くなければ意味がない」、「勝たなければ意味がない」という生死をかけた武術本来の考えを骨子とし、アメリカなど海外数カ国での数々の実戦経験、ヨーロッパの警察機構や軍をはじめとして海外五十カ国以上での空手指導経験を有する最高師範が、世界に通用する最高の技術を伝授しています。

「強さ」と「技術」を追求する本格的かつ実戦的な武術としての空手の稽古。
形式よりも実戦性を重視するため、未経験の方や他流派出身の方も、すぐに馴染みやすい稽古内容です。

稽古内容は非常に濃く、「他で十年分の稽古を一年で行う」を実践しています。

日々の稽古では、基本鍛錬、部分鍛錬から、形、組手、護身術、取手、武器術、試割まで、個人の適性や進捗度に合わせて、様々な稽古内容を取り入れています。
可能であれば海外指導への同行も稽古の一環として行います。

大人の武術の場合、試合=死合(死に合い)ととらえるので、試合参加は一切せず自らの精進を第一義とします。

高校生、大学生などの学生さんはもちろん、十代から六十代までの社会人の方々が、『本物の強さ』を求めて稽古しています。
「強くなりたい」という強い思いがあれば、ご希望により、中学生男子も一緒に稽古をすることができます。

実は、男性の「強さ」は、ビジネス、仕事の世界においても必ず役に立ちます。
男性社会では、本能的に、「強い背景」を持った者が勝つ。
当道場の武術空手の稽古では、単に肉体を鍛錬し精神を鍛えることのみならず、男性としての「強い背景」を創りあげることをもって、稽古の成果を、個々人の活躍に域に留まらず、社会、国に貢献していくということを信条としています。

当道場は、一流の技術者のもと、「強くなりたい」という共通の思いを持ち、競争ではなく、それぞれが自ら設定したテーマを持って、個性を活かしながら、活気溢れる稽古をしている唯一無二の本物の空手道場です。

きっかけは皆、様々です。
強くなりたい、喧嘩で負けたくない、身体を鍛えたい、精神を鍛えたい、女性にもてたい、空手に憧れていた、真の空手を追求したい、試合ではない本物の空手をやりたい、職業柄、制圧する技や護身の技を身につけておきたい、子どもと一緒に始めたら自分がはまった、ストレス発散、運動不足解消、健康維持、体重減量に、など。

年齢はもちろん、空手やその他の武道、格闘技の経験の有無、程度は問いません。

最高師範は、技術者でありながらも、面白く、懐の大きな、きさくな人格者です。
気負わず、お気軽にお越しください。


初心者の方へ ~黒帯への道で自分を鍛える~

新しいことにチャレンジすることは、とても勇気がいります。
でも、もし「強くなりたい」、「空手をやってみたい」という気持ちが少しでもあれば、当道場の門を叩いてみてください。
短期間で手応えを感じるはずです。
必ず、強くなります。

初心者の方でも意欲次第では1年未満で黒帯の実力を身につけます。
三十代、四十代、五十代から空手を始めた有段者も多く在籍しています。
武術空手に年齢は関係ありません。

十代からシニア世代まで、幅広く歓迎しています。
必ず短期間で心身ともに強くなっていることを実感し、皆様がご想像しているとおりの黒帯になります。

経験者の方へ ~流派を問わず本物の空手を~

かつて空手をしていたけどもブランクがあるという方や、現在も空手をしている方、最高の技術者のもとで本物の空手を始めてみませんか。
経験に応じて、黒帯から始めることも可能です。

現在、他団体、他流派、その他格闘技団体に所属している方の移籍も、歓迎しています。
現在も、松涛館流をはじめ、糸東流、和道流、剛柔流の伝統派やフルコン、キック、ボクシング、合気道、古武道、柔道、ラグビーなど様々な空手、武道、格闘技等から移籍されてくる方がいます。
ご事情をうかがったうえで、ご相談に乗ることもできます。
現在の所属団体に疑問のある方、試合空手に疑問のある方、本当に強くなりたい方、実戦に通用する技術を学びたい方など、お待ちしています。

鍛えた身体に本物の技術を。


具体的な稽古内容は、以下のとおりです。

基本鍛錬

当道場では、基本及び部分鍛錬を重視しています。

基本動作の反復を欠かしません。

また、成人男性の場合は、「スポンジの拳から強靭な突きは生まれない」という考えのもと、強い拳を鍛え上げるため、巻藁、立木、サンドバッグ、人によってはコンクリートを突きます。
拳のみならず、身体のあらゆる部分の鍛錬を行います。
最高師範の適切な指導のもと、人体を損傷することなく、実戦に使える強い拳と身体を鍛え上げていきます。

この部分鍛錬は、男性として、空手家としての醍醐味と言ってもよいでしょう。

強い下半身を作り上げ当て感を養うためのサンドバック蹴りも欠かせません。




形(かた)

本来、形は、先人達の血と汗から創り上げられたものであり、実戦技から構成されたものです。

実戦面からみると、形のなかには、禁じ手なる技が豊富に含まれています。
いざという時に使える実戦的で危険な技を、形を通じて習得していくことになります。
形を覚え鍛錬すれば、実戦でいくらでも瞬時に効果的な攻防技を出すことができるようになります。

当協会では、現在、52の公式形(『公式形』のページ)を設定しています。
そのうち、半数前後が『松涛館流』の形、残りの半数前後が『渡邊流武術空手』の形で、古典形や白鶴拳の形を含みます。
上記の形の性質をとらえ、男性向けの稽古では特に形の解釈(意味)を重点的に行います。




組手

空手における組手稽古は、仮想の敵を想定して互いに技の攻防を行うものであり、最も実戦に近いかたちでの稽古です。

現在空手界の主流となっている「試合空手」での自由組手は、いわゆる「ポイント取りのゲーム」であり、本来の空手とは程遠いものとなってしまっています。
松涛館流空手の祖である船名越儀珍翁も、厳に、自由組手、試合空手を否定していました。

当道場では、試合空手を一切排除し、あくまで素面と素手と寸極めを基本とし、正しい技を習得する基本一本組手、間合いを習得する自由一本組手、攻防における技の掛け合いを習得する約束一本組手、より実戦に近いかたちの乱取りの稽古を行っています。
空手以外の武術も取り入れた様々な技を習得していきます。

稽古により、いついかなる時であっても、どんな場所であっても、どんな相手であっても、攻防できる技術を身に付けます。




護身術

男たるもの、自らの身のみならず、家族、恋人、そして周囲にいるかもしれないお年寄りや子どもたちを守らなければなりません。

空手は本来、護身術でありますが、護身術の稽古では、特に、刃物を持つ相手、棒や物を持つ相手、拳銃を持つ相手、人質をとる相手、複数の相手、喧嘩の仲裁など、様々な場面を想定した稽古を行います。
最高師範は、海外警察や軍での護身術の指導経験も豊富であり、一流の技術を学ぶことができます。



取手(とりで)

組手や護身術の延長として、より複雑かつ高度な技を習得する取手の稽古。

柔術、合気、古武術などの様々な武術を取り入れた、より実戦的な動きの稽古です。
日常生活において避けざるを得ない争いに巻き込まれた時、争いを止めに入る必要がある時など、現場でのより具体的な動き方と心得を習得します。



武器術

空手はあくまでも無手にこだわる武術なので、武器術の稽古といっても、武器での攻撃の仕方を学ぶものではありません。
武器の特性、すなわち武器の長所と短所を覚え、武器を持った相手からの攻撃に対し、適切に対処するために、武器術の稽古をします。

杖、木剣、木刀、サイ、トンファ、ヌンチャク、十手、鎖鎌、短刀、ナイフ、拳銃など。

素手でも武器に対して攻防できるようになります。



試割

空手の力試しの方法の一つとしての、試割。

なかには、試割用の割れやすい板、瓦、バット、ブロックなども売っていますが、当道場では、本物の板やブロックを使用して実力試しをします。

また、最高師範は、世界でただ一人、ゴルフクラブの一指切りの演武を行うことで有名です。
人差し指の部分鍛錬により、極めた技です。

このような試割は、年1回の演武会でもお披露目することができます。




海外指導

稽古の一環として、海外の指導に同行することも可能です。

海外では、黒帯の大男達が、容赦なく実力試しに挑んできます。
実戦修業の相手としては申し分のないことでしょう。

海外では、技術ありきです。

日頃、最高師範のもとで修業していれば、その成果を試すことができる絶好の機会となります。



その他

年間行事として、段級審査、合宿、演武会などがあります。

段級審査については、『公式段級位』のページへ。

多くの皆様のご入門をお待ちしております

稽古は真剣そのもので厳しいですが、稽古時間以外は明るく楽しい道場です。

気さくで器の大きい最高師範と、明るく強い指導員たちがお待ちしております。

多くの皆様とご縁がありますように・・・。

押忍





ここでは、大人の男性向けの武術空手についてのご説明いたします。

「武術空手」と「スポーツ空手」

当協会は「武術空手」を謳っていますが、本来、空手とは武術、すなわち、実戦的格闘における護身及び格闘の技の総称なのであり、当然のことを表しているだけです。

あえて「武術空手」という言葉で表現するのは、「スポーツ空手」との対比においてです。

「スポーツ空手」とは、別名「試合空手」とも言われているとおり、試合での勝負、すなわち、試合で勝つことに主眼を置いたスポーツとしての空手をいいます。

本来の空手が武術である以上、厳密には「スポーツ空手」という概念は存在しないはずであり、「スポーツ空手」は、空手という名前はついていても、本来の空手とは別物の、新しいスポーツの一つと捉えるべきでしょう。

このように、本来、空手は武術であるにもかかわらず、現在、ほとんどの道場、団体、組織が、試合に勝つことを主眼とし試合に勝つための稽古をしているので、現在の空手界の主流は「スポーツ空手」になっているといえるでしょう。オリンピックもその一例ですね。

その経緯としては、まず歴史的にみると、①第二次世界大戦において武術、武道が日本の国体に寄与したという事情から、戦後GHQの政策によって、武道を、より民主化されたスポーツとして位置づけるべく指示があったこと、②柔道がオリンピックに参加するようになってから、武道全体の試合偏重、試合至上主義、勝利至上主義の風潮が高まったこと、③空手をオリンピック競技として推進する団体が、率先して試合至上主義、勝利至上主義を助長することにより、空手をスポーツ化したことなどが挙げられます。

また、現場的にみると、指導者の資質によるところが大きいといえます。現在の多くの指導者は、試合に参加して目先の勝負にこだわりながら成長してきた世代であり、古典に由来する正しい空手を研究・修得しておらず、本来の武術空手を指導できないといわれています。試合に使える技術にこだわったてきたばかりに、本来の空手の稽古の目的である「強くなる」ということを忘れてしまっていた世代ともいえます。それゆえ、現在、多くの空手道場の指導者が、そのことを自覚し始め、技術不足に悩んでいるという現状もあります。

「スポーツ空手」では強くなれない

スポーツはスポーツで素晴らしいものです。目的を設定し競争する過程で、自らの心身を鍛えつつ、人格を形成していく。あるいは、多くの人々がその人種信条年齢等を超えて楽しみながら参加することができるコミュニケーションの一つでもあり、心身ともの健康維持を増進することのできる活動として、世界中で愛されています。

しかし、こと空手というものに関していえば、その本質はスポーツではない。

これは絶対に、そう言い切れるのです。

本物の武術空手を経験したことがある者、目にしたことがある者にとっては、現在の「スポーツ空手」は非常に物足りなく、決して強くなれるものではないと気付くことができます。

まず第一に言えるのは、組手試合に勝つために必要な技の数が絶対的に少なく、実戦的には意味のない技ばかりであるということです。本来の正しく強い技や武術的・技術的な技は、試合での点数が低い、又は反則となるため、重要視されない、又は排除されてしまいますので、研究対象になりません。あくまでスポーツとして勝つための体技の訓練が主になっています。

例えば、伝統派の自由組手の試合は、寸極めルールの中でいかに多くの「ポイント」を取ることができるかということがテーマのいわゆる「ポイント組手」なので、スピードとタイミング重視のゲーム感覚となり、技の正確性・精密性・実効的な解釈・一撃の重さなどは軽視されてしまいます。互いに素手・素足で打撃されることがない前提なので、打たれ強い身体を作るための肉体鍛錬もしません。

他方、フルコン系の試合は真逆で、直接打撃と技の重さにこだわるために、肉体鍛錬を重視しますが、スピードや間合いの取り方が不十分で、技の種類もそれほど多くありません。一部では最も実戦的である上段(顔面)への攻撃が禁止されているほどです。

そもそも、このように空手の系統によって試合のやり方や趣旨が異なっている時点で、それそのものがルールの中に組み込まれたスポーツであり、実戦を想定した武術ではないということの現れとなっています。

形(かた)についても、本来、形は技の宝庫であり生かしようによっては相当の実戦力を有するにもかかわらず、正しい形解釈や実戦的な形の解釈を指導できる指導者がいないため、表面的なかたちをなぞるだけの「体操形」となってしまいます。また、組織の幹部の意向や力関係によって「勝てる形の打ち方」や「勝てる流派の形」も時代によって変化していきますので、より派手なパフォーマンスとして必要のないところで見得を切り居ずいたりする「歌舞伎形」になっており、実戦的解釈はどこへやら、です。

武道とは名ばかりの、スポーツエンターテイメント。

これが、現在のスポーツ空手・試合空手の行き着いたところでしょう。

それはそれで、空手というものを老若男女問わず世界中に普及させることに貢献したと思います。

特に女性や子どもについては、ある程度のスポーツ化・エンターテイメント化により武術性・危険性を排除しなければ、ここまで空手人口は広がらなかったと考えられます。

しかし、「男子門を出ずれば七人の敵あり」。

格闘の世界に限らず男性は常に闘い続けなければならないものであり、常在戦場の精神で生きていかねばなりません。負けたら終わりという厳しい世界で、孤高に闘い続けなければなりません。知識・信念・愛・叡智をもって他者を尊重しながら自己修錬し、限界を見極めながら自らの心身を鍛え上げ、世に貢献し新しい時代を築き上げていくこと。いつ本物の戦場に出くわしても臨戦態勢に入り闘い抜くことができる背景を創りあげていくこと。 

スポーツの世界では、負けても次があります。しかし、武術の世界は、究極的には、負け=死となり、負けたら次はありません。現実世界と同じです。

原点に立ち返り 『温故知新』 を為す

「故きを温めて新しき知る」

当協会の空手を一言でいうと、この言葉で表すことができます。

先人たちの知恵から学び、時代に合わせた新しい考え方を取り入れていくこと。

昔の武術を今一度考え、新たな道理や知を見出し、古いものをたずね求めて、新しき技術を創り上げること。

当協会では、現在の空手界に対して疑問を投げかける有志が結集の上、子ども達と我が国の未来のために、『武術空手』、すなわち正しい空手を伝承することを目的として、日々稽古しています。
このような当協会の考え方に賛同し、師範会に加入申請する指導者や、支部や友好団体に登録申請する団体も増えてきています。

今後、近い将来には、当協会が確固たる信念として掲げる『武術空手』の精神が空手界の主流となり、正しい空手が日本全国、世界各地に広く普及してくことを願ってやみません。

元来、空手は、闇夜に墓場などで師から弟子へ秘密裏に伝承されたものです。
空手とは本来、師から弟子へ、日本人の強い魂と技術を伝承していく武術です。

今一度、空手の原点に立ち帰り、本物の師弟関係のもと、本物の正しい空手、すなわち『武術空手』を一緒に修業していきませんか。

「武道」ではなく「武術」としての空手

当協会は、「武道」ではなく「武術」としての空手を追求しています。
それは、空手には、まだ「道」がない、と考えているからです。
柔道、合気道、剣道、古武道など、日本の伝統的武術は、先人達の手で道が確立されており、「道」を称していることと思います。
しかし、空手には、まだ「道」がない。
確かに、多くの先人達が空手の研鑚を積んできましたが、「道」はまだ完成されていません。

先人達が創り上げてきた未完成の道をなぞることで満足してはならない。
先人達の血と汗と涙を受け継ぎ、今こそ「道」を完成させ弟子達に残すべきである。

これが、先人達から当協会に与えられた使命であり、当協会が「武道」、「空手道」を名乗らない理由です。

また、「武術」という言葉には、「技術」を最も尊ぶという意味も含まれています。
「空手は技術ありき」であり、「技術」のない空手は空手ではありません。
空手を含めた「武」の世界では、技術者たることが最も上手(じょうず)であり、技術者たるには才知に長けていなければなりません。
この「技術」を研磨できる精神こそが、日本人が有する最も強く尊い性質です。
才知に基づく強い精神性があってはじめて、高い「技術」の修得が可能となるのです。


『生涯武術』の完成

『武術空手』という言葉の中には、『生涯武術』という意味も含まれています。
当協会は、『生涯武術』の完成を目指しています。
『生涯武術』により、人格の完成を目指します。

なるべく多くの方に”長い空手”をやって欲しいと考えています。
生涯をとおして稽古を続けることにより、生涯を通じた自分自身の太い”背景”を創り出すことができます。

稽古中は、ある瞬間、無心になります。
無心になり、自分の原点を無意識に見つめ直すことができます。
生涯をとおして、自分の原点に帰り自分を見つめ直すことができる空間があること、自分が帰る空間があるということは、とても心強く貴重なことだと思います。

現在、空手を修業している方も、大人になってから空手を始めた方も、これから空手を始めよう思っている方も、ぜひ、『生涯武術』を心の片隅に置いて空手の稽古を重ねていただければと思います。


個性を拠り所とする『武術空手』

『武術空手』の技は無限にあります。
技の種類だけでも無限にあるところ、『武術空手』の有段者ともなれば、その身体的・技術的・人格的個性に基づき、さらに無限大の可能性を追求していくことになります。
その研究は終わりを知りません。
であるが故に、『武術空手』は、『温故知新』を題した『生涯武術』であるといえます。
『武術』は、最終的には「個性」を拠り所とするものです。
空手には、個々の気性と気質が表れます。
指導者は、その個性を見抜き引き出す見識眼を有する必要があります。
ですから、当協会の空手は、大人から子どもまで、個性の発見と研磨を最大のテーマとし、特に有段者については型枠に嵌らない自由な動きと発想を尊重しています。


空手の武術認識

武術は、日本古来より先人達が闘いに勝つ為の手段として血を流し汗を流し、武道となったが、その日本武道精神は独特だ。
人を殺さず人を活かす道である。
他人の生命に敬意を払い、謙虚にして無心、そして、その兵法には三種の心を具える必要がある。

第一、大信心を具えること。
第二、芳心の心を具えること。
第三、不退転の心を具えること。

この三種の心が武術には必要なのである。
大信心とは疑う所の無いこと。
放心の心とは自由のこと。
不退転の心とは武術兵法そのもののこと。
心にとどめがあれば心流れず、自由に自然のまま動く事は出来ない。
心にとめがあれば体は動かずに破られる。

勝つ事。

立ち会いに於いて、円妙自在、水の如く流れる様に動く事により、敵の動きが心に映る。
敵が打とうと動いたその一瞬「勝つ」と感じ打つ。

「勝ったあとに打つ」と上泉伊勢守信綱は言う。
「守りを主とし攻めを従として勝つ」ことが、日本の武術精神ではないだろうか。

いわいる空手の武術性とは、『事に臨んで敵を一撃にて倒す、また敵を抑制し、敵の闘争本能を失わせる事にて勝つ』。
これぞ武術空手であると認識する。
他の空手との大きな相異であり。
まずは絶対なる勝利の技法こそが完成してから、次の精神向上に進むのであって、 まず戦いにての勝利が初伝であり、畳水練では絶対にこれらの事項を認識出来る訳が無い事をここに警告を促す事。
これが、武術とスポーツの大きな相違である。
正しい指導者の教えを請う事で、空手道が失伝せずに日本伝統武道に認められる事を切に願い、我が協会が必ずや空手道の完成を全うする事を誓い、 永遠に空手道が伝承されてゆく事が責務であることを宣言す。
全ての空手界を敵にしても、正しき空手道を時代の流れを創り出し、 我々協会に対し誹謗中傷があれども、 理念と理想の確立の為に我々が同当為の道の完成をせしめ、 世界中に日本武道の空手道を広める事を誓う。
我が国の民族が作り上げたる武道精神を空手道を通じ、君子の拳として確立をする事。
ここに今一度、人間空手を標榜し、当協会の必要性を世に問い、 認識を得、国際社会に貢献する事で、 真の和平を願い、我が国の崇高なる民族性を誇れるよう、 子孫の恒久的なる民族の誇りを創り上げる足掛かりとして認知を得る事、これこそが当協会の目的である。

社団法人國際武術空手協会 最高師範 渡邊正樹 謹書

当協会の空手道の理念

空手道の理念とは、理性と肉体鍛錬によって到達する崇高なる哲学である。

その心は、日本伝統武術より共通項を取り出し総合して得たる武術である。

日本武術は、他の国には無い哲学を帰一する為、日々の修業を通じ、心技体を養うことにより、 物事の本質すなわち真髄を見極める眼識を得、人格権(生命・身体自由等の関する権利)を守りぬく事により生涯武術として確立と完成を目指すものである。

今日では、空手界においてスポーツ空手(競技空手)が主流となっているが、 空手とは元来、身を守り敵を制するものであり、 日本民族武術の中でも特に『無手』、即ち身体動作のみで敵を制することの 出来うる崇高なる武術なのであり、 其の精神と技法が現在失伝しかかっている今、 我々国際武術空手協会が今一度、 本来の空手の持つ武術性と不戦而勝の精神を取り戻し、 徒手空拳すなわち無手『身に寸鉄を帯びず』にて敵を制する技法など 特異的なる身体を武器化する錬磨などを積み上げる事により、 敵の闘争本能を抑えることを習得し、 目先の勝負だけの修練ではなく自己を鍛え上げる事により、 技と術の修得にて最強である事が必至でありながらも、 人格の完成を養い、人間空手を標榜出来うる武人を 我が社団法人國際武術空手協会より人道的人物を輩出する事で、 我が日本より国際的に認識させることを掲げる。

社団法人國際武術空手協会 最高師範 渡邊正樹

漢が死んで逝くまでの心得

今日命尽きても天命を知り受け入れろ

嘆き悲しむのは心が弱いからであり
自分の役目が終りであるのを命というもので割り切る事だ

病や事故で自分を見失うな

人は必ず病や事故で命亡くすものだ
特別なことではないんだ
苦しむ事など時間の無駄である

漢ならその日を迎えたら最後位は廻りの皆様に
気のきいた言葉の一つくらいは残そう

それが真の男の終演だからな

最高師範 渡邊正樹

本協会設立の目的

スポーツとしての空手ではなく、武術としての空手。目先の勝負だけの修練ではなく、人格の完成を養い、心身ともに自己を鍛え上げる空手。本協会より人道的人物を輩出し、日本の武術空手を国際的に認識させること。

空手の修行たる者とは

空手の修行たる者とは